相模原JC 理事長ブログ

(公社)相模原青年会議所 第53代理事長の小山龍次です。私たちの活動を広く発信するために、理事長ブログを開設しました。ぜひ、ご覧下さい!

ハイスクール議会 最終日

 

 

午後から横浜の神奈川県新庁舎議会場にて、最終日のハイスクール議会に参加してきました。

 

横浜に来ると、やっぱりサマーコンファレンスを思い出しますね‼️

 

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日本大通り駅前を出ると横浜名物の建造物が。

横浜市開港記念会館、通称ジャック。

 

他にも、

 

神奈川県庁本庁舎→キング

 

横浜税関本館庁舎→クイーン

 

で、横浜三塔と呼ばれています。

 

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すぐそばには、関東大震災で倒壊したレンガ造りの建物の残骸が当時の写真と共にその場所に遺されています。

 

こうゆうのは大好きなので、ここに来るたびに立ち止まってしばらく眺めてしまいます。

 

横浜の歴史の厚みを感じます。

 

 

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黒岩県知事のご臨席の元、高校生議員が作り上げた数々の提言が示されました。

 

相模原JCからの出向メンバーたちも裏方として、活躍していました。本当にお疲れ様でした。

 

 

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新庁舎の一階には議会の議長を体験できるスポットが‼️

 

お隣には本物のリアル議会局長が座ってくれました(≧∇≦)

 

 

神奈川県行政と県議会、みんなで応援したいですね‼️

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終戦記念日

今日は8月15日。

 

73回目の終戦記念日です。

 

自身の恒例となっている、東京九段にある靖国神社にお詣りに行きました。

 

私が渉外委員長だった時は相模原JCの事業として、多くのメンバーを引率した年もありました。

 

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毎年の事ですが、とにかくすごい人出💦

 

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まさに、初詣のような状態。この大勢の参拝客を見るたびに、まだこの国は大丈夫だ‼️と思います。

 

そんな行列を横目に、これまた私の恒例となっている本殿参拝へ。

 

玉ぐし料を納めて、エアコンの効いた室内で待つ事ができます。

 

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お隣には台湾からの御一行様。

 

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隣にいたおじいちゃんに話しかけたら、ずーっと中国語で話されて何言ってんのか全然わからず^_^;

 

昔は同じ日本人として戦ってくれた台湾の方々。みんな暑い中スーツの上着を脱がず、ネクタイも締めていました。

 

きっと交通費も滞在費も全て手弁当で来日されているはず。

 

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 政治家の参拝が終わると、そそくさと退散して行くメディアの方々。多くの人が様々な思いを持って参拝に来ている事も取材してもらいたいものです。

 

実際に来るまでは、終戦記念日靖国神社がこんなに多くの人でごった返してるなんて知りませんでした。

 

メディアを疑い、何事も自分の目で見てみるって大事ですね。

 

 

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 ご英霊に対する感謝と恒久平和をお祈りさせて頂きました。暑いけど、気分は何だか清々しい。

 

 

帰りには靖国神社すぐそばのインド大使館に寄りました。

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 今年のJCI世界会議ゴア大会のためにビザの取得方法を聞きに行ったのですが、 

 

受付にいたインド人のおじさんに

 

「キョウヤスミダヨ、アシタ、アシタ‼️」

 

と言われ、けんもほろろに退散💦

インドにもお盆休みってあるのかな👀

 

 

帰りはボーノ相模大野にある名店、清勝丸さんでラーメンを。

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久しぶりに食べたけど、本当にうまい。

 

暑い夏もこれで乗り越えられそうです‼️

 

 

 

 

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ラーメンも作れる野村委員長(・∀・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和天皇の涙

戦後、日本はなぜ奇跡の復興を成し遂げたのか?


それは昭和天皇の足掛け8年半、約3万3000キロに及ぶ全国への御巡幸により、
国民が一つにまとまった事から始まりました。

 

どこの焼野原となった都市へ行っても、いろいろな想いの群集から「天皇陛下万歳天皇陛下万歳」の声が自然と上がります。それはまるで、地響きのようであったそうです。

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この御巡幸を始めるにあたり、陛下はその意義について次のように述べられました。「戦争によって祖先からの領土を失い、国民の多くの生命を失い、、大変な災厄を受けました。この際、わたしとしては、どうすればいいのかと考え、国民を慰め、励まし、また復興のために立ち上がらせるための勇気を与えることが自分の責任と思う」
 

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そして昭和24年5月、九州への御巡幸でのこと。この日、陛下は、たってのご希望で佐賀県三養基郡にある因通寺というお寺に御巡幸されます。
 
このお寺には洗心寮という引き揚げ孤児の寮がありましたが、戦災孤児や引き揚げ者の境遇を気にかけておられた昭和天皇は、ここを佐賀県での最初の御巡幸先にされました。
 
各お部屋を回られた陛下は、最後に禅定の間までお越しになられます。この部屋の前で足を停められた陛下は、突然、直立不動の姿勢を取られ、そのまま身じろぎもせずに、ある一点を見つめられます。
 
それまでは、どのお部屋でも満面の笑みを讃えて、お優しい言葉で子供達に話しかけられていた陛下が、この禅定の間では打って変わって厳しいお顔をなされた。入江侍従長も、田島宮内庁長官も、沖森知事も、県警本部長も、何事があったのかと顔を見合わせます。重苦しい時間が流れる。
 
ややしばらくして、陛下がこの部屋でお待ち申していた女の子に近づかれました。そして静かなお声で、引き込まれるようにお尋ねになられました。

 

「お父さん、お母さん?」

 

 一瞬、侍従長も、宮内庁長官も何事があったのかわからない。陛下の目は一点を見つめています。


 女の子の手には二つの位牌が胸に抱きしめられていたのです。


女の子が答えます。

 

「はい、これは父と母の位牌です」


「どこで?」
 
「はい、父は、ソ満国境で名誉の戦死をしました。母は引き揚げ途中で病のために亡くなりました」

 

 

「おひとりで?」


父母と別れ、一人で満洲から帰ったのかという意味でしょう。
 


「いいえ、奉天からコロ島までは日本のおじさん、おばさんと一緒でした。船に乗ったら船のおじさん達が親切にして下さいました。佐世保の引揚援護局には、ここの先生が迎えに来てくださいました」
 
「お淋しい?」

 

しかし陛下がそうお言葉をかけられた時、この子は口元を引き締め、

「いいえ、さびしいことはありません。私は仏の子ですから」
 
陛下は少し驚いて女のこの目を見つめたが、女の子はひるまずに続けた。


「仏の子は、亡くなったお父さんとも、お母さんとも、お浄土に行ったら、きっとまた会うことができるのです。お父さんに会いたいと思う時、お母さんに会いたいと思う時、私は御仏様の前に座ります。そしてそっとお父さんの名前を呼びます。そっとお母さんの名前を呼びます。するとお父さんもお母さんも、私のそばにやって来て、私を抱いてくれます。だから私は淋しいことはありません。私は仏の子供です」
 
こう申し上げた時、陛下はじっとこの子をご覧になっておいででした。この子も、じっと陛下を見上げています。陛下とこの子の間に、何か特別な時間が流れたような感じがしたそうです。
 
陛下は、右の御手に持たれていたお帽子を、左手に持ちかえられ、右手でこの子の頭をそっとお撫でになられました。
 
「仏の子はお幸せね。これからも立派に育って下さいね」

 

とお言葉をかけられた。その時、陛下のお目から、ハタハタと大粒の涙が一つ、二つ、おめがねを通して畳の上にこぼれ落ちた。
 
すると、ふいに女の子は、小さな声で

 

「お父さん」

 

と呼んだ。

 

これを聞いた陛下は、深くお頷きになられた。
 
その様子を眺めていた周囲の者は、皆、言葉をなくして顔を覆った。東京から随行してきていた新聞記者も、肩をふるわせて泣いていた。

 
帰路、子供達は陛下を囲み、中には陛下のお洋服の端をしっかり握って離さず

 

「また来てね」

 

と言う子もいた・・・。


 
皇居にお帰りになられた昭和天皇は、この時のことをこう詠まれました。

 


みほとけの

 

教へまもりてすくすくと

 

生い育つべき子らに幸あれ

 

 

この御製は、今も因通寺の梵鐘に刻まれています。

 

 

 

参考資料  『天皇さまが泣いてござった』調寛雅著 教育社

 

 

 

特攻隊員の遺書②

大石清伍長「妹への手紙」

 

『静(せい)ちゃん

お便りありがとう。

何べんも何べんも読みました。

お送りしたお金、

こんなに喜んでもらえるとは

思いませんでした。

神棚などに供えなくてもよいから、

必要なものは

何でも買って、つかって下さい。

兄ちゃんの給料は

うんとありますし、隊にいると

お金を使うこともありませんから、

これからも静ちゃんのサイフが

空っぽにならない様、

毎月送ります。

では元気で、

おじさん、おばさんに、よろしく。』



出撃前の手紙。

 


『なつかしい静(せい)ちゃん!

おわかれの時がきました。

兄ちゃんはいよいよ出げきします。

この手紙がとどくころは、

沖なわの海に散っています。

思いがけない父、母の死で、

幼い静ちゃんを

一人のこしていくのは、

とてもかなしいのですが、

ゆるして下さい。

兄ちゃんのかたみとして

静ちゃんの名であずけていた

ゆうびん(郵便)通帳とハンコ、

これは静ちゃんが

女学校に上がるときに

つかって下さい。

時計と軍刀も送ります。

これも

木下のおじさんにたのんで、

売ってお金にかえなさい。

兄ちゃんのかたみなどより、

これからの

静ちゃんの人生のほうが

大じなのです。

もうプロペラがまわっています。

さあ、出げきです。

では兄ちゃんは征きます。

泣くなよ静ちゃん。がんばれ!』

 

 

 

そして、この遺書を預かった飛行機整備兵の大野沢威徳氏が添えた手紙。

 


大石静恵ちゃん、

突然、見知らぬ者からの手紙で

おどろかれたことと思います。

わたしは大石伍長どのの

飛行機がかりの兵隊です。

伍長どのは今日、

みごとに出げきされました。

そのとき、このお手紙をわたしに

あづけて行かれました。

おとどけいたします。

伍長どのは、

静恵ちゃんのつくった人形を

大へん大事にしておられました。

いつも、

その小さな人形を飛行服の

背中に吊っておられました。

ほかの飛行兵の人は、

みんな腰や落下傘の縛帯の

胸にぶらさげているのですが、

伍長どのは、突入する時に

人形が怖がると可哀そうと

言っておんぶでもするように

背中に吊っておられました。

飛行機にのるため

走って行かれる時など、

その人形がゆらゆらと

すがりつくようにゆれて、

うしろからでも一目で、

あれが伍長どのと

すぐにわかりました。

伍長どのは、いつも

静恵ちゃんといっしょに居るつもり

だったのでしょう。

同行二人。

仏さまのことばで、そう言います。

苦しいときも、さびしいときも、

ひとりぽっちではない。

いつも仏さまがそばにいて

はげましてくださる。

伍長どのの仏さまは、

きっと静恵ちゃんだったのでしょう。

けれど今日からは伍長どのが

静恵ちゃんの”仏さま”になって、

いつも見ていてくださることと

信じます。

伍長どのは勇かんに

敵の空母に体当たりされました。

静恵ちゃんも、

りっぱな兄さんに負けないよう、

元気を出して

勉強してください。

さようなら』

 

 

 

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特攻隊員の遺書①

素子 


素子は私の顔を能く見て笑いましたよ。私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入ったこともありました。素子が大きくなって私のことが知りたい時は、お前のお母さん、佳代叔母様に私のことをよくお聞きなさい。私の写真帳もお前のために家に残してあります。


 素子という名前は私がつけたのです。素直な、心の優しい、思いやりの深い人になるようにと思って、お父様が考えたのです。私はお前が大きくなって、立派なお嫁さんになって、幸せになったのを見届けたいのですが、若しお前が私を見知らぬまま死んでしまっても、決して悲しんではなりません。お前が大きくなって、父に会いたいときは九段にいらっしゃい。そして心に深く念ずれば、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮かびますよ。


 父はお前が幸福者と思います。生まれながらにして父に生き写しだし、他の人々も素子ちゃんをみると真久さんにあっている様な気がするとよく申されていた。またお前の伯父様、叔母様は、お前を唯一の希望にしてお前を可愛がって下さるし、お母さんも亦、御自分の全生涯をかけて只々素子の幸福をのみ念じて生き抜いて下さるのです。必ず私に万一のことがあっても親無し児などと思ってはなりません。父は常に素子の身辺を護っております。優しくて人に可愛がられる人になって下さい。お前が大きくなって私のことを考え始めたときに、この便りを読んで貰いなさい。

 

追伸 素子が生まれた時おもちゃにしていた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにして居ります。だから素子はお父さんと一緒にいたわけです。素子が知らずにいると困りますから教えて上げます。

 

海軍少尉 植村真久 神風特攻・大和隊
昭和19年10月26日 比島沖にて戦死 25歳

 

 

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関東地区大会2日目

地区大会の2日目は群馬会館にて、9時からの歴史教育フォーラムに参加。

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池間哲郎先生による日本人の誇りをテーマとした講演会。アジアの最貧国を実際に渡り歩いて来た経験からくる話は大変説得力がありました。

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また、東南アジア諸国で日本人が昔から尊敬されていた事、先輩たちの偉大な功績は数々の本を読んで知っていたつもりでしが、現地の方々のインタビュー映像を見て事実であった事を確認する事が出来ました。

 

池間先生の印象に残った言葉。

 

「教師と軍人に対する尊敬がないと、国は滅びる」

 

 

 

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続いては「徹底討論!持続可能なちいき共生」フォーラム。パックンマックントークショーからスタート。

 

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 地元群馬にお住いの在留外国人の方々もお呼びしてのパネルディスカッション。相模原JCでも民間外交を重要な柱としているので、様々な学びがありました。

 

印象に残ったお話。

・地域とつながりを持ちたがっている外国人の方々は多い

・せっかく日本語を勉強しても、地方都市には外国人の雇用機会がない

・外国人には古典的なイメージや思い込みを持たず、本質的な質問をぶつけ合った方が良い

 

 

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 最後は橋下徹大阪市市長の講演。実際に行政区の長として活躍されていた経験があったので、語る話には説得力がありました。

 

「権力は行使しなければ、意味がない。」

 

橋下さんらしいお言葉でした。

 

 

自分たちが地域を先導していく原動力にならなければならない‼️

 

 

 

今年の関東地区大会のフォーラム、すべてが本当に勉強になりました。

 

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関東地区大会群馬まえばし大会

 

早朝7:45にJCルーム前に集合して、いざ関東地区大会が開催される群馬県前橋市へ。

 

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お盆の時期と重なり、行きの道路は大渋滞💦

 

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 それでも車内は大盛り上がり。昨晩も例会後の懇親会があったのにね。本当に仲の良い相模原JCメンバーたち(^O^)

 

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 無事に前橋に到着‼️

 

着いた感想は、

 

 

とにかく暑い😵

 

 

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 式典では、次年度会長と地区大会の木杯授与。

 

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来年は日本一暑いまち、熊谷‼️

 

 

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 今晩は前橋に集まったメンバーと共にLOMナイト‼️

 

みんな、前橋に来てくれてありがとう‼️